
午後三時、私は観覧車のゴンドラの中で、既婚男性と黙って向かい合っていた。

もちろん私も既婚だ。つまり、お互い背徳の関係ってやつだ。言葉にすると笑ってしまうような設定だけど、当の本人たちは全然笑えない。むしろ、いつも胃が痛い。
「今日で終わりにしようか」と、私が言うと、彼は窓の外を見た。ほらきた、現実逃避のポーズ。小学生男子が嫌なプリントを親に出すときと似ている。
「……うん、わかった」
それでも答えてくれるのは、優しさなのか、諦めなのか、判断しかねる。でもたぶん、両方なんだろうな。
私たちが出会ったのは、会社の研修だった。飲み会の帰り道、駅まで一緒に歩いた。それだけ。それだけなのに、なぜか会話が途切れなくて、やたらお互いの笑いのツボが近くて、何より、ほっとしたのだ。
「子ども、元気?」と彼が言った。
「うん、昨日前髪切りすぎたって泣いてた」
「そういうのも、愛しいんだよなあ。……おれ、娘に好かれてないかも」
「いや、あなた絶対パパっ子でしょ。娘の話する時、目がとろけてるよ」
私はわざと軽く言って、彼の気持ちを引き戻した。お互い家庭を捨てる気はない。そんな根性、ない。だけど、誰かに「大丈夫だよ」って言ってもらいたい時がある。それが、たまたま、彼だっただけだ。
ゴンドラが一番高いところに来たとき、ふと視線がぶつかった。私は笑った。彼も笑った。その瞬間だけは、全部どうでもよくなった。
観覧車を降りて、改札の前で別れた。彼は「じゃあね」と言って手を振った。私は「おつかれ」とだけ返して、振り返らずに歩いた。
半年後、また午後三時に
そして半年後、また偶然、遊園地で出会った。
「やっぱり、また来たんだね」
「君こそ」
その日も午後三時、私たちはまた観覧車に乗った。
何が変わったわけでも、何かが始まったわけでもない。だけど、彼の横顔を見ながら、私は思った。
ああ、こうやって私はきっと、誰かを好きになりながら、誰かを傷つけながら、生きていくんだろうなって。
その現実が、少しだけ愛おしかった。